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徳川光圀「誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日こそ、母を最も苦しめた日なのだから」と、、、、、、

「徳川光圀(水戸黄門)は、自分の誕生日には最も質素な食事をしたという。なぜか。吉川英治が『梅里先生行状記』(講談社)に描いている。

家臣が誕生祝いの膳を並べた時のこと。光圀は「白粥と梅干ひとつでよい」と料理を下げさせ、こう言う。「産褥の母のすがたを忘れぬのが何よりの誕生日」。つまり誕生日は、自分を産むために母が腹を痛め苦しんだ日。“せめて質素な食事で感謝をささげたい”。光圀の、親を敬う心は深かった。」

凄いですよね。なかなかできることではないですよね。僕は、故郷が水戸なので、光圀公のこの精神を万分の一でも取り入れ、毎年僕は誕生日にお袋に感謝の電話をする。ちょっとてれるが、老いた母が喜んでくれる。

ここ15年ぐらい、我が誕生日にはお袋の好きな薔薇の花をプレゼントしている。今年は、両親に松坂牛をプレゼントした。とても喜んでくれるのが嬉しい。80過ぎの両親が元気でいてくれる事に感謝である。

コロナの状況を見て今年こそは水戸へ帰省したいなぁ。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「必ず成功するという信念を持つ」

 発明王エジソンは、これまでご案内してきた「1%のひらめき(天才性)は、99%の汗(努力)のなせる業」など、数々の名言を残しています。

 そのうちの一つに、「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ」があります。

 エジソンほど、ポジティブな人はいないと言っても過言ではないでしょう。

失敗ではなく、うまくいかない方法と捉えれば、その結果に大いなる値打ちが見出せるのです。つまり、成功という目標に対して、選択肢を絞り込むことができるからです。

 また、エジソンは、寸暇を惜しんで仕事に励みました。一説には、1日19時間労働を実践したとも言われています。

そのくらい時間を必要とした人ですから、失敗を悔やむ時間がもったいないと考え、データ収集に当てた時間と捉えたのです。

 失敗を恐れないためには、とにかく行動してみることです。もちろん、ただ闇雲に突っ走るのではなく、物事を必ずPDCAサイクルにかけて進むのです。

 その際は、必ず良い面と悪い面を、冷静に、客観的に見つめ、公平に判断して行動に移さなければなりません。

 そして、最も大事なことは、試行錯誤を繰り返していけば、必ず成功するという信念を持つことです。

 エジソンは、ジョゼフ・スワンが発明した白熱電球を、フィラメントの材料に日本の竹を利用して長時間点灯する電球に改良しますが、それまでに2000回以上の実験を行っているのです。

 そこには、成功への確信があったはずです。誰しもエジソンのようなレベルにまで、ポジティブにはなれないかもしれませんが、必ず成功するという信念だけは、絶対に持ち続けるようにしましょう。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「基本を疎かにしない」

 ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家ロマン・ロランの言葉に「ピラミッドは頂上から作られはしない」があります。また、ことわざでも、同様に、「五重の塔も下から組む」と言われています。

 ピラミッドや五重塔に限らず、建物は、まず基礎部分をしっかり固めなければなりません。これがいいかげんだと、いくら良い上物を棟上げしても、場合によっては、建物が傾いてしまうのです。

 つまり、これらの言葉は、基本を疎かにしてはいけない、物事は順序立てて進めていかなければいけないという、戒めの言葉なのです。

 しかし、世の中には、基本を無視し、往々にして、できるだけ楽をして物事を成し遂げたいと思う人が、数多く存在します。

 その一番の例が、流行の健康法、ダイエット法を、安易に取り入れる人です。

 本当に、心身共に健康になりたいと思ったら、まず生活習慣を根本的に改めることから、はじめなくてはなりません。そして、日々地道な努力を、長期間にわたって積み重ね、ようやく健康になれるのです。ダイエットも同様です。

 それにも拘わらず、楽をしようとして、こうした基本や、正しい順序立てに目をやらず、まるで魔法のような健康法、ダイエット法を信じてしまう人がいます。

 しかし、世の中に、そんなうまい話はないのです。

 以前、「初心を忘れない」として、野球でもゴルフでも、トッププロは、基本中の基本である素振りに、他の選手よりも、少しでも多く取り組んでいることを、ご案内しています。

レベルの高い人になればなるほど、決して基本を疎かにしないのです。

 もし、基本を疎かにする考えを、少しでも持っているのであれば、今すぐ捨て去りましょう。そうすることで、成功への確実な一歩が約束されるのです。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「宗教心が科学の暴走を抑える」

 囲碁将棋のプロ棋士対AI(人口知能)の対局において、AIが勝率を高めている状況を考えると、科学技術はどこまで発展するのか、興味がある半面、空恐ろしい気がしてなりません。

 それは、科学技術の進歩自体が恐ろしいのではないのです。科学技術に求めるものに、際限がなくなってしまうことが、極めて恐ろしいのです。

 例えば、1頭のブタから、多くの肉を得ようと思ったら、ただ単に太らせるだけではダメで、より胴を長くしなければならないのです。

 つまり、品種改良して、ダックスフントみたいなブタを生み出すことで、肉の歩留まりが良くなるのです。

 しかし、もし太らせた上に、どんどん胴を長くしていけば、当然お腹が地面に垂れてしまいます。それでは、ブタの背骨や腰に、大きな負担を課すことになります。

 ならば、それを補うために、もし可能ならば、遺伝子を操作して、長い胴を支えるため、6本足のブタを生み出せばよいという考えが生まれるかもしれませんが、果たしてそれで良いのでしょうか。

 例え可能であっても、人間の手で、ブタの足の数を変えるなんてことは、絶対にしてはいけないのです。それは、神仏の領域を犯すことになるからです。

 以前、「精神的な支えをもって自己実現」として、何かに跪く気持ちは大切であり、各人の宗教心を大事にしなければならないことを、ご案内しています。

つまり、科学を暴走させる気持ちに、宗教心をもってブレーキをかけるのです。

 超自然的な存在としての神仏は存在しません。しかし、内なる存在である神仏は確かに存在していると思います。

そんな神仏に対して、素直に跪くことで、科学は暴走しなくなるのです。

そして、それこそが、科学と宗教の良好な関係であり、我々に真の幸せをもたらしてくれるのです。

羅万象から学ぶ人生羅針盤「意味のある戦いに勝つ」

 「試合に勝って勝負に負ける」という言葉があります。スコアの上では勝利を収めても、本質的な面では、勝っていないことを表しているのです。

 わかりやすい例えで言えば、2人の男の子がいて、どちらがクラスの女の子に人気があるかを競ったとします。

 A君はクラスで一番のハンサムボーイですが、B君は十人並みの見た目です。

 クラスの女の子たちに、「どちらが好きなタイプか」を競ったところ、C子ちゃん1人を除いて、残りの全員がA君を支持しました。

 試合の結果は、A君の勝利に終わりました。

ところが、A君もB君も、密かにC子ちゃんにあこがれており、彼女だけがB君を支持した結果に、A君は試合に勝ったにも拘わらず、大いなる敗北感を味わったとされます。A君は、まさに、試合に勝って勝負に負けたのです。

 仮に、C子ちゃん一人を対象に行い、「どちらが好きなタイプか」を尋ねたとすれば、B君の勝利となります。別な見方をすれば、B君は、ここ一番の大勝負では、勝つことになるのです。

 これに関連して、香港の映画俳優ジャッキー・チェン氏は、「人生はすべての戦いに勝つ必要はない。自分にとって意味のある戦いに勝てばいい」と言っています。

 人生には、勝負だけでなく、様々な決断を下さねばならないことがあります。

その時、自分にとって、それは意味があることなのかをきちんと見極め、大事な局面に際しては、確実に勝利、成果を収めることが、極めて重要なのです。

 何事においても、一生懸命なことは良いことです。しかし、意味のないことにまでエネルギーを使う必要性はありません。麻雀や飲み比べなどに、勝たなくてもいいのです。

エネルギーは、自分を磨くために使いましょう。そうすれば、より一層の成長が約束され、重要な勝負において、必ずや、勝利をもたらしてくれるのです。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「自由には覚悟が必要」

 我が国でレコード売上枚数が最も多いシングル盤として知られている『およげ!たいやきくん』の歌詞の意味は、自由を求めてとびだした若者が、厳しい現実世界に直面して挫折してしまうというもので、ちょっと切ない内容です。

 若者が自由に憧れる気持ちはよくわかりますが、経済的な面をはじめ、厳しい現実が待っているのです。

例えば、お金がなければ、アパートを借りることすらできません。そして、そのアパートも、オーナーの所有物なので、あくまでルールに則った形でしか住めないのです。

 これに関連して、作家・芥川龍之介の言葉に、「自由は山巓(さんてん)の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない」があります(随筆・警句集『侏儒の言葉』より)。

 山巓とは、山の頂上のことです。そこは、眺望は抜群なのですが、空気が薄く、体力のないものにとっては、居心地の悪いところなのです。

 そして、山巓の空気の薄さは、自由にともなう不安と解釈すると、分かりやすいかもしれません。

 自由は、確かに素晴らしいものですが、何もかも自己責任で賄っていかなければならないため、なんの保証もないという大きな不安がのしかかってきます。

 例えて言うなら、家猫でいるか、野良猫になるかということでしょう。

 家猫には、自由が制限される代わりに、きちんと餌がもらえます。しかし、野良猫は自由ですが、今日のメシ、寝床を自分で探さなければ、野垂れ死にしてしまうのです。

 自由とは、まさにそういうものです。何ものにも縛られない解放感はありますが、頼れるのは自分だけなのです。

 自由であることの素晴らしさは大いに認めます。しかし、自由を獲得し、自由に生きていくには、それなりの覚悟と、具体的な方策をもって臨まなくてはならないことを、肝に銘じておくべきでしょう。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「心身ともに清潔になる」

英語のことわざに「清潔は信心深さに次ぐ美徳」があります。また、植村花菜氏の楽曲(小説、絵本、テレビドラマ)である『トイレの神様』でも、清潔であることの重要性、素晴らしさを説いています。

 そして、我々は、このコロナ禍の渦中において、こまめな手洗いをはじめとして、かつてない清潔感の確保を求められ、それを実行しています。

 しかし、清潔であるという効果は、汚れや病気から身を守り、健康を維持するためだけではないようです。

 もし、こうした行動習慣が元になり、綺麗好き、清潔好きという感覚を身につけることができれば、それは精神的な面にも広がっていくのです。

 つまり、身体が清潔になれば、自ずと心も清潔になっていくというのです。

 もちろん、度が過ぎれば、潔癖症になってしまい、疲弊してしまうかもしれませんが、適切な心の清潔感は、行動によって養われるのです。

 綺麗好きな人は、法律を犯すことを極端に嫌います。また、いわゆる悪徳と呼ばれるものに手を染めることもしません。社会に生きるものとして、必要とされるルールやマナー、品性を、率先して身につけるようになります。

 そして、清潔な人は、言葉遣いも極めて丁寧です。汚い言葉を嫌い、綺麗な言葉を使うので、話をされる側も好感を持って聞くようになるのです。

 見た目だけでなく、中身も清潔な人は、誰からも好かれます。

さらに、風水の世界では、清潔であることは、運気を向上させると言われています。

まさに、清潔であることによって、人生において幸福になれる様々な要素やチャンスを、自然に引き寄せていると言っても過言ではないのです。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「人格を磨く」

 「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」は、中国最古の歴史書である『書経』に原典があり、西郷隆盛が使った言葉としても有名です。また、一説には、織田信長も、この言葉を述べていたとも言われています。

 この言葉の意味する通り、実績のある者には報酬を与え、人格の優れた者には地位を与えるのは、組織を運営するうえで、極めて重要なことであると言っても過言ではないでしょう。

 一生懸命仕事をして、実績を上げれば、必ずそれに見合う報酬が与えられます。しかし、それは、働いた分の手間賃が、約束されているにすぎません。それだけでは、地位が与えられる条件を満たしているわけではないからです。

 時々見かけるのは、確かに人の何倍も仕事をするのですが、自分一人で仕事をしている気になって、思いあがっている人物です。

 こういう人物を重用すると、必ず「俺がいるから、この会社はもっているんだ」と、おごり高ぶるのです。そうなると、周囲に対して、モチベーションを下げるという悪影響を与えるのです。

 しかし、徳ある者は違います。最大の特徴は、人を育てる能力があるのです。

 徳ある者に人を預けますと、必ず一人前のビジネスマンに育て上げてくれます。まさに、こういう人物こそ、管理職の鑑であり、人の上に立つ資格があるのです。

 仮に、いくら営業マンとして、売上に貢献したとしても、人間性に問題があれば、せいぜい係長止まりです。

本当に出世したければ、人格を磨くことが大事です。そうすれば、報酬だけでなく、地位も約束され、ビジネスマンとして成功を収めることができるのです

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「自分で考えることが大事」

 『昆虫記』で有名な、昆虫の行動研究の先駆者であるフランスの博物学者ジャン・アンリ・ファーブルの言葉に、以下の名文があります。

まず考えること、辛抱強く考えつくすこと。

むずかしいことがあれば、すぐに他の人に聞いて解決するというやり方は、決してすすめられる勉強法ではない。

他人に教わったのでは、難儀の一事のがれにしかならない。

必要なことはまず考えることだ。しかも辛抱強く考えつくすことだ。

人間は自分で探し求め、発見したことしかよく覚えていることはできない。

しかもなお、知識として覚えた場合と、自分で考えて発見したのとでは、精神の成長のうえからいっても大きな開きがある。

 この言葉を実行するには、まず、自分を貫き通す気持ちを持つことです。そして、言葉や態度に、常に一貫性を維持しましょう。そうすることで、辛抱強く考えつくすことができるのです。

 また、計画性も身につけるようにしてください。計画性の有る無しによって、辛抱強さにも、違いが出てきます。

さらに、個性的であることを誇りに思い、良い意味で孤独を愛し、他人に左右されない、確固たる信念を持ちましょう。

 そして、忘れてはならないのが、考えたら、必ず行動に移すことです。考えは、行動によって形作られ、その価値も証明されるのです。

 何事においても、自分で考えて出した結論に、大きな値打ちがあるのです。

もちろん、他人にアドバイスを求めることも重要ですが、そうした助言を材料にして、自分で考えることが大事なのです。

ファーブルの言葉にある、精神の成長においても、大きな意味を持つのです。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「欠点を補い長所を伸ばし合う」

比目魚(ひもくぎょ)という言葉があります。

デジタル大辞泉(小学館)によれば「一つ目の魚で、2匹並んではじめて泳ぐことができるという、中国の伝説上の魚。仲のよい夫婦のたとえ」「ヒラメやカレイのこと」と説明しています。

 比目魚が、2匹並んで泳ぐのは、視界が狭いというお互いの欠点を知っているからです。それに気づいているからこそ、その視界を補い合いながら、並んで泳ぐのです。

 自分の欠点を補ってくれるのは、言うまでもなく、他人です。自分に足りないものを持っており、それを活用してくれるのです。

 また、自分も、相手の欠点に対して、持てる能力を発揮しながら、補わなければなりません。そうやって相互扶助することで、お互いが成長していくのです。

 また、これは長所を生かす際にも、大いに言えることです。

何事においても、自分一人だけの力には限界があります。必ず、他人の力を借りなければ、長所も眠ったままになってしまいます。

 それは、他人の長所を伸ばす際にも、同様です。自分の力をもってして、他人の長所に、さらに磨きをかけていくのです。

 これに関連して、松下電器産業の創業者・松下幸之助氏の名言の一つに「お互いの長所欠点を良く知り合い、そして欠点を補い合う。そこから共同の仕事の発展が生まれる」があります。

お互いの欠点、長所に気が付かず、そのままにしておいたらダメです。常に相手を意識して、鋭敏な感覚で、その欠点・長所を認識できるようにしておかなければなりません。

そして、欠点を補い、長所を伸ばし合うことを実行し、限りない成長と、大いなる成功を手にしましょう。

森羅万象から学ぶ人生羅針盤「徳を身につける」

 徳とは、中国文学者の守屋洋氏によれば、人格を構成する様々な優れた要素を総称した言葉としています。

そして、徳のある人とは、立派な人格を持った人ということになるのです。

 さらに言えば、人を魅了し、引き付ける能力がある人と言えるでしょう。

しかし、徳は、人から期待を集める、いわゆる人望などという言葉とは違います。その人に元から備わっている、あるいは、特別な修養をもって身につけた気質なのです。

 これに関して、松下電器産業の創業者・松下幸之助氏も、「人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない」と言っています。

 徳が元から備わっていない場合、前述の特別な修養が必要になりますが、それは難しいものではありません。

 まず、何事もポジティブに考え、他人を尊重することです。決して、悪口を言ってはいけません。常に、謙虚と感謝の精神を忘れないことです。

 また、物事を損得だけで判断してはいけません。リターンを期待せずに、人に施すことを実践しましょう。

『論語』に「徳は孤ならず、必ず隣あり」という言葉があります。徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れるという意味です(デジタル大辞泉より)。

 ビジネスにおいても、徳を身につけることで、必ず人に支持されます。仕事はテクニックだけでは成功しません。徳こそが、人を動かし、ビッグビジネスを成功させる最も重要な要素であることを理解しましょう。

運命、宿命、使命

「自分は生まれつき、不幸の星のもとにいる」とか「どうせ運命だからしかたない」という人がいます。人は逆境に陥ると簡単にあきらめて、場当たり的な生き方をするものです。

しかし、運命という言葉は「命を運ぶ」と書きます。

ということは、運命は自分で決められることを意味しています。運命は自分の意思で選択できるのです。

これに対して宿命は「命に宿る」と書きます。

生まれたときから、命に宿っているものは変えられません。自分の生まれ育っている時代や自分を生んでくれた親など、自分の意思で選択できないことを「宿命」といいます。

この「運命」と「宿命」の違いを知り、自分の「宿命」を受け入れた上で、大切なのは「使命」です。自分の命をどう使うか?それがまさに人それぞれの生き様であり、自分の運命を決めることになる大切な選択となるのです。

あなたの「使命感」が、あなたの運命を決めると言っても過言ではありません。

運命は自分で決められるのです。